ヴェッキオ宮殿の広い階段を2階に上がると「五百人広間」と呼ばれる圧巻の大広間があります。総勢500人で構成される大評議会を開催するために、サヴォナローラの時代、1495年に、シモーネ・デル・ポッライオーロ(通称、クロナカ)によって建設されました。
その後、コジモ1世の時代、1563年から65年にかけて、天井や周囲の壁面もすべてヴァザーリらの手によって豪華に装飾されました。両壁面に描かれているのは、左側は共和制時代に14年間も続いた「対ピサ戦」、右側はコジモ1世が指揮を執ってわずか14ヶ月で勝利をおさめた「対シエナ戦」です。天井画の中央には、神格化された《コジモ1世礼賛》(2枚目)が描かれています。
ですが、実はここでレオナルドとミケランジェロが(半ば強制的に)壁画を競作させられたことがありました。
1503年にレオナルドに依頼された壁画の主題は《アンギアーリの戦い》(3枚目、ルーベンスによる模写)でした。これは1440年にフィレンツェ軍がミラノを打ち破った戦いですから、レオナルドにとっては第二の祖国ミラノへの愛着を捨ててフィレンツェに忠誠を誓うことを証明する仕事でもありました。さらに、1504年にはレオナルドと肌の合わないミケランジェロに、《カッシーナの戦い》(4枚目、アリストーティレによる模写)という1364年の対ピサ戦を描くように命じたのでした。
ただでさえ仲の悪い天才2人を同じ場所で対決させるという趣向に、当時のフィレンツェ人は熱狂したことでしょう。しかし、レオナルドは技法選択の失敗により未完に終わり、ミケランジェロはカルトン(原寸大下絵)を完成させるも教皇からローマに召喚され、中断したまま終わってしまいました。今もヴァザーリの壁画の下に塗り込められて「幻の壁画」となってしまったのは残念です。
大広間には1565年、ミケランジェロがコジモ1世に贈った《勝利》の彫刻(5枚目)も飾られていますが、おそらく、これはローマ教皇ユリウス2世の墓廟のために準備していた彫刻のうちの一体です。
作品情報:
2) Apoteosi di Cosimo I, Giorgio Vasari, 1365-1565, Olio su tavola, Palazzo Vecchio, Firenze
3) Copia di 'Battaglia di Anghiari', Pieter Paul Rubens, 1603 circa, 45,3×63,6 cm, Museo del Louvre, Parigi
4) Copia di 'Battaglia di Cascina', Bastiano da Sangallo(detto Aristotile), 1542 circa, 77×130 cm, Holkham Hall, Holkham
5) Genio della Vittoria, Michelangelo Buonarroti, 1532-1534 circa, Marmo, 261 cm, Palazzo Vecchio, Firenze