Let's go to Italy!

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サン・マルコ広場に面した教会の右隣にある入口には、「サン・マルコ博物館(Museo di San Marco)」と書いてあります。この博物館は、もともとは修道院で、現在はその一部を博物館として公開し、修道院に所縁の深い美術品を展示しています。


修道院の建設は12世紀に遡り、元来シルヴェストリーニ信徒会のために建設されましたが、ここがフィレンツェの歴史舞台に登場してくるのは、1437年にドメニコ会の修道院となってからです。


1434年にフィレンツェ追放から帰還したコジモ・デ・メディチは、1437年、修道院再建に対して全面的な援助を申し出、メディチ家贔屓の建築家ミケロッツォ・ミケロッツィに依頼しました。


1438年に着工された建築は5年の歳月を経て、1443年の公現祭(Epifania 1月6日)の夜に奉献されました。コジモは、この改修に40,000フィオリーニ以上も費やしました。こうして、この新しい修道院は、メディチ・リッカルディ宮殿、サン・ロレンツォ聖堂と並ぶ主要な建築物となりました。


建築様式は簡素でありながら優美で機能性を備えたものでした。壁面は白の漆喰で塗られ、空間は2つの回廊付き中庭(聖アントニーノの回廊と聖ドメニコの回廊)に分けられました。1階部分には司教座聖堂参事会員室、2つの食堂、客人宿泊室が、2階には修道士たちの独房、図書館が設けられました。


中庭に面した回廊を進み、階段を2階へ登ると、目の前には、ベアート・アンジェリコ(本名はグイード・ディ・ピエトロ)の美しいフレスコ画、《受胎告知》があります。「磯刑図」を描けば涙を流したというほど信仰心の篤い画僧グイードは、当時から「天使のような福者」(Beato Angelico ベアート・アンジェリコ)とか「天使のような修道士」(Fra Angelico フラ・アンジェリコ)と呼ばれていました。


ミケロッツィが修道院を大改築したあと、壁という壁にアンジェリコがフレスコ画を制作しました。アンジェリコを代表するフレスコ画《受胎告知》をはじめとする数々の傑作を、理知的で清楚な修道院の空気の中で、ミケロッツィのルネサンス建築とともに堪能しましょう。


また、小食堂にあるドメニコ・ギルランダイオの壁画《最後の晩餐》も傑作ですので、お見逃しなく。


もちろん、この博物館は壁画だけでなく、多くの祭壇画《リナイオーリの祭壇画》《ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画》《十字架降下》なども集めて展示しています。


コジモの時代にアンジェリコの壁画によって修道院全体が見事な芸術品となり、メディチ家の誇りとなったのも束の間、ロレンツォ豪華王の晩年にフェッラーラからここにやってきた説教士サヴォナローラによってメディチ家はフィレンツエを追放されてしまうというのは皮肉な運命です。


修道院はナポレンにより1808年に接収され、ナポレオンの陥落後は修道士に戻されましたが、1866年には大部分が国有財産として接収されました。国立文化財となった修道院は、改修工事を経て、1869年に、建物の大部分が博物館として一般に公開されるようになりました。











コジモ1世の命令で、1560年にヴァザーリによって建設が始められたウッフィーツィは、司法および行政のオフィスとして誕生しました。建物はヴェッキオ宮殿(市庁舎)からアルノ川岸までひろがり、ピエトラ・セレーナ(青みがかったきめの細かな砂岩)で区切られたまばゆい白壁が続きます。ウッフィーツィ建設の間、ヴァザーリは回廊の建設(1565)にも携わりました。これは、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ、いわば空中の道路で、1キロあまりあるにもかかわらず、わずか6ヶ月で建造されました。


1574年にヴァザーリとコジモ1世が世を去り、フランチェスコ1世が後を継ぎ、ベルナルド・ブオンタレンティとともに、初めは秘密裏に、ヴァザーリの建築の最上階をギャラリーに改築する工事を始めました。1581年には、メディチ家の持つ古代彫刻などの美術作品を収容、展示し、リクエストに応じてこのコレクションを公開するようになりました。


それから1584年に、コレクションのうち最も貴重な作品を集めるべく、「トリブーナ(Tribuna)」(2、3枚目)の建設に取り掛かりました。トリブーナはアテネの「風の塔(Torre dei venti)」(4枚目)と同じ八角形のプランで建てられました。八角形のプランで天の方位を暗示し、星座、あるいはランタンの指時針で太陽の進路を示し、さらに四要素を暗示しています。四要素のうち、「空気」は風見のあるランタンによって表され、「水」は貝殻がはめ込まれたドームによって、「火」は赤い壁によって、そして「土」はさまざまな大理石による床によって表されています。


その後、いく世紀もの間に、新しい収蔵品や新しい展示空間がウッフィーツィを描きかえてきました。ウッフィーツィは1737年にメディチ家の最後の相続人、アンナ・マリア・ルイーザによってトスカーナ大公国に寄贈され、1765年に公式に一般公開されました。


アンナ・マリア・ルイーザは遺言として、「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に寄贈したため、メディチ家の財産は、フィレンツェの遺産として現代まで遺されることとなりました。


作品情報:

Tribuna, Bernardo Buontalenti, 1581-1583, Galleria degli Uffizi, Firenze

Torre dei Venti, 50 a.C., Atene, Grecia






フィレンツェの街でウフィツィ美術館に並ぶ人気を誇るアッカデミア美術館には、毎日世界中からミケランジェロの傑作《ダヴィデ》を見に来る人たちで溢れています。7点という世界最多のミケランジェロ作品を所蔵するため「ミケランジェロ美術館」というイメージも定着しています。


5メートルを超える大作《ダヴィデ》は、1873年に、シニョリーア広場のヴェッキオ宮殿前から、天候や歳月による損傷を防ぐという理由でこの美術館に移設されました(現在、広場にはコピーが置かれています)。《ダヴィデ》の前の細長い通路の両側には、「ノン・フィニート(未完成)」の《髭のある奴隷》《目覚める奴隷》《若い奴隷》《奴隷アトラス》の4体の奴隷が展示されています。これらは教皇ユリウス2世の墓碑のためにミケランジェロが制作していたものですが、未完のため結局墓碑には組み込まれませんでした。そのほか《パレストリーナのピエタ》《聖マタイ》などのミケランジェロの作品が並びます。


絵画では、ボッティチェッリの《聖母子、幼い洗礼者ヨハネと二天使》、ギルランダイオの《聖母子と聖フランチェスカ、マグダラのマリア》、フィリッピーノ・リッピの《十字架降下》など、13世紀から16世紀初頭にかけてフィレンツェ派の代表的な画家たちの作品が展示されています。


この美術館の発祥は、ロートリンゲン大公レオポルドの遺言によって1784年に創設されたアカデミーで、隣接していた美術学校の学生の勉強を目的に、様々な時代の絵画や彫刻などが収集され陳列されるようになりました。美術館の建物は、サン・マッテオ病院とサン・ニッコロ・ディ・カファッジョ修道院が改築されたものです。


アッカデミア美術館は、予約せずに来る観光客が長蛇の列となっているため、もしダヴィデ像などミケランジェロの作品を見るのであれば、事前に予約することをお勧めします。美術館の公式サイトで日時を指定して予約可能です。



ヴァザーリの回廊は、ウッフィーツィ美術館からヴェッキオ橋の2階部分を通ってピッティ宮殿を結ぶ、全長約1kmの回廊です。


ジョルジョ・ヴァザーリの設計で、1565年にトスカーナ大公コジモ1世の注文により、わずか5ヶ月で建築されました。回廊の途中には、大公の家族が大衆と混じり合うことなく礼拝できるように、サンタ・フェリチタ教会の内部を見渡すことができるバルコニーもあります。


回廊の肖像画コレクションは有名ですが、現在は改装工事のため回廊は閉鎖されており残念ながら見学できません。2021年の再開予定ですが、この再開に合わせて、これまで回廊にあった肖像画コレクションは美術館内に移動されるようです。なお、この回廊はウッフィーツィ美術館の一部ですが、見学するには美術館とは別の予約が必要です。


 

ウッフィーツィ美術館は、初代トスカーナ大公コジモ1世の治世下、ジョルジョ・ヴァザーリの設計で1560年に着工し、1580年に竣工したフィレンツェの行政庁舎がもとになっています。ウッフィーチョ(ufficio)はイタリア語で「オフィス」の意。


コジモ1世の子フランチェスコ1世の時代に、この庁舎でメディチ家の持つ古代彫刻などの美術品を収容、展示、公開したのが美術館の始まりです。1769年に一般に公開されるようになり、1982年には世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の一部として認定されました。


収集された作品の量と質の点で、世界で最も重要な美術館の1つであり、フィレンツェ・ルネサンスの最高のコレクションが展示されています。ラッファエッロとボッティチェッリのコレクションだけでなく、ジョット、ティツィアーノ、ポントルモ、ブロンツィーノ、アンドレア・デル・サルト、カラヴァッジョ、デューラー、ルーベンスなどの作品もあります。