プレゼーピオ(Presepio)とは、イエス降誕の場面を再現した模型で、多くのカトリックの家庭で、ナターレ(Natale イタリア語で「クリスマス(降誕祭)」の意)に備えて、これを飾る習慣があります。
ちなみに、ナターレはイエスの誕生日だと思っている人も多いと思いますが、実は、イエスの誕生を祝う日であって、イエスの誕生日ではありません。新約聖書にも、イエスの誕生日を特定する記述はなく、実際、いつ生まれたかは誰もわかりません。
イエスの降誕の様子は、新約聖書の『マタイによる福音書(1:18-25)』と『ルカによる福音書(2:1-7)』のみに書かれていて、プレゼーピオは、これらの福音書に書かれたことをもとにして、イエス降誕の場面を再現しています。
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『ルカによる福音書』2:1-7(新共同訳)
𝟏 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
𝟐 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
𝟑 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
𝟒 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
𝟓 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
𝟔 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
𝟕 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
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プレゼーピオは、ナターレの4週間前から始まる待降節の時期に設置され、御公現の祝日(1月6日)の翌日まで飾られます。
聖母マリアと喜ぶ天使たち、それを取り囲む羊や馬などが聖書の大切な場面を物語ります。生まれたばかりの「幼子イエス」は12月25日0時に初めて飼い葉桶の中に置かれ、主の公現と共に「東方三博士」は登場します。(東方三博士(または羊飼い)の礼拝については、イエス降誕の次の章に書かれています。)
プレゼーピオの発祥の地は、イタリア中部ラツィオ州のコムーネ、グレッチョと言われています。1223年、グレッチョに滞在していたアッシジの聖フランチェスコは、幼子イエス降誕を観想するために馬小屋を再現し、村人といっしょに祝いました。
クリスマスシーズンに街を歩けば、さまざまな場所でプレゼーピオを見かけますが、特に教会などでは大きなものを見つけることができるでしょう。教会で必ず用意されるプレゼーピオは、市民に聖書を理解させるのに役立ったとも言われています。
写真は、国立サン・マルティーノ美術館所蔵のプレゼーピオですが、ナポリで見ることができる最も美しいプレゼーピオです。
作品情報:
Presepio Cuciniello, Museo nazionale di San Martino, Napoli