コジモ・デ・メディチの尽力によって、1439年の東西教会公会議は、フィレンツェで開催されました。感動的な公会議の歴史的舞台にフィレンツェが躍り上がった時の記憶を、そして、その晴れ舞台を誘致したメディチ家の存在を、コジモの息子ピエロは、壁画に描きとどめたいと思いました。
ピエロは、ミケロッツォ・ミケロッツィの設計で建てられたメディチ宮殿が完成するかしない1459年、宮殿内に設けられた2階の家族礼拝堂をフレスコ画で飾る仕事を、ベノッツォ・ゴッツォリに依頼しました。
私的な宗教空間であり政治的な会合の場所でもあった礼拝堂に、ゴッツォリは《三王の旅(東方三博士の旅)》を描きました。壁画制作は1462年までかかりましたが、コジモはそれを見て世を去りました。
ゴッツォリはフラ・アンジェリコの弟子ですが、華麗でモニュメンタルな風俗絵巻を描かせたら師匠の上で、マザッチョの出現で価値が失われつつあった後期国際ゴシック様式の宮廷絵画風の味つけが蘇りました。
この礼拝堂では祭壇のある北側以外は、すべての壁面が一続きの場面として表されています。入って右側の壁面の、城壁で囲まれたトスカーナの小都市のような外観をもつエルサレムから始まって左に向かって進み、最後は方形の祭室の壁で終わります。
そこに置かれた祭壇画《キリストの降誕》(ピエール・フランチェスコ・フィオレンティーノ作。フィリッポ・リッピの原作は現在ベルリン国立美術館所蔵)では、バラの垣根で囲まれた庭の中で、ベツレヘムで生まれた幼児イエスを天使たちが崇める様子が表されています。
一説では、三王のうち年長の2人の王メルキオール(西側、老人の姿)とバルタザール(南側、壮年の姿)の一段と豪奢でエキゾティックなイメージには、1439年の東西教会公会議に参加したコンスタンティノープル総主教とビザンティン皇帝ヨハネス・パレオロゴス8世の姿が、若い王カスパール(東側、青年の姿)にはピエロの長男口レンツォ・イル・マニーフィコの姿が描き出されているとされますが、これには異論も多くあります。
いちばん若い王につき従う一行のなかにはさまざまな肖像が見られ、そのなかにはメディチ家の代表的な人物がいます。コジモは美しく飾られた茶色の驢馬にまたがり、その右隣には、絵の発注者であるピエロが赤い頭巾をかぶって白馬にまたがっています。
群像中にはゴッツォリの自画像が見られ、赤い帽子には「OPUS BENOTII(ベノッツォの作)」と記されています。
この主題は、フィレンツェでもっとも盛大な宗教祝祭のひとつで、1月6日に祝われるキリスト教の祝日「公現祭(Epifania エピファニーア)」に関連しています。メディチ家はこの祝祭の主催者である「東方三博士同信会」の幹部でもあり、コジモ自身、1446年の仮装行列には東方三博士のひとりに扮して参加しました。
この伝統行事を模して、フィレンツェでは1997年からCavalcata dei Magi(東方三博士の行列)と呼ばれる豪華絢爛な衣装を身に纏った700人もの人が参加する仮装行列が開催されるようになりました。行列の衣装は、このフレスコ画に描かれている衣装を参考に再現しているそうです。
作品情報:
Cappella dei Magi, Benozzo Gozzoli, 1459, Palazzo Medici Riccardi, Firenze