1/09/2021

サン・マルコ修道院 Convento di San Marco


サン・マルコ広場に面した教会の右隣にある入口には、「サン・マルコ博物館(Museo di San Marco)」と書いてあります。この博物館は、もともとは修道院で、現在はその一部を博物館として公開し、修道院に所縁の深い美術品を展示しています。


修道院の建設は12世紀に遡り、元来シルヴェストリーニ信徒会のために建設されましたが、ここがフィレンツェの歴史舞台に登場してくるのは、1437年にドメニコ会の修道院となってからです。


1434年にフィレンツェ追放から帰還したコジモ・デ・メディチは、1437年、修道院再建に対して全面的な援助を申し出、メディチ家贔屓の建築家ミケロッツォ・ミケロッツィに依頼しました。


1438年に着工された建築は5年の歳月を経て、1443年の公現祭(Epifania 1月6日)の夜に奉献されました。コジモは、この改修に40,000フィオリーニ以上も費やしました。こうして、この新しい修道院は、メディチ・リッカルディ宮殿、サン・ロレンツォ聖堂と並ぶ主要な建築物となりました。


建築様式は簡素でありながら優美で機能性を備えたものでした。壁面は白の漆喰で塗られ、空間は2つの回廊付き中庭(聖アントニーノの回廊と聖ドメニコの回廊)に分けられました。1階部分には司教座聖堂参事会員室、2つの食堂、客人宿泊室が、2階には修道士たちの独房、図書館が設けられました。


中庭に面した回廊を進み、階段を2階へ登ると、目の前には、ベアート・アンジェリコ(本名はグイード・ディ・ピエトロ)の美しいフレスコ画、《受胎告知》があります。「磯刑図」を描けば涙を流したというほど信仰心の篤い画僧グイードは、当時から「天使のような福者」(Beato Angelico ベアート・アンジェリコ)とか「天使のような修道士」(Fra Angelico フラ・アンジェリコ)と呼ばれていました。


ミケロッツィが修道院を大改築したあと、壁という壁にアンジェリコがフレスコ画を制作しました。アンジェリコを代表するフレスコ画《受胎告知》をはじめとする数々の傑作を、理知的で清楚な修道院の空気の中で、ミケロッツィのルネサンス建築とともに堪能しましょう。


また、小食堂にあるドメニコ・ギルランダイオの壁画《最後の晩餐》も傑作ですので、お見逃しなく。


もちろん、この博物館は壁画だけでなく、多くの祭壇画《リナイオーリの祭壇画》《ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画》《十字架降下》なども集めて展示しています。


コジモの時代にアンジェリコの壁画によって修道院全体が見事な芸術品となり、メディチ家の誇りとなったのも束の間、ロレンツォ豪華王の晩年にフェッラーラからここにやってきた説教士サヴォナローラによってメディチ家はフィレンツエを追放されてしまうというのは皮肉な運命です。


修道院はナポレンにより1808年に接収され、ナポレオンの陥落後は修道士に戻されましたが、1866年には大部分が国有財産として接収されました。国立文化財となった修道院は、改修工事を経て、1869年に、建物の大部分が博物館として一般に公開されるようになりました。