11/21/2020

ルチェッライ宮殿 Palazzo Rucellai


ジョヴァンニ・ルチェッライは、メディチ派でありながら、メディチ家と運命をともにするほど密着もせずに、巧みに15世紀を生き抜いた商人で、1466年にはコジモ・ディ・メディチの孫娘ルクレツィアを息子ベルナルドと結婚させ、姻戚関係を結びました。ルクレツィアは、ピエロ・ディ・メディチの娘で、ロレンツォ「豪華王」の姉にあたる女性です。通称ナンニーナと呼ばれていました。


そのため、ルチェッライ宮殿やロッジャのフリーズ(4枚目)には、「順風満帆」を描いたジョヴァンニ・ルチェッライの紋章(5枚目左上)とともに、メディチ家の「痛風病みの 'il Gottoso'」ピエロの紋章(右上)があしらわれています。他にも「祖国の父 'il Vecchio'」コジモ(右下)やロレンツォ「豪華王 'il Magnifico'」の紋章(左下)、ルチェッライ家の紋章(6枚目)もあります。


メディチ家のコジモがサン・マルコ修道院の再建に力を入れたのと同じように、ルチェッライ家のジョヴァンニもサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の再建に莫大な私財を投じました。そして、コジモが建築家のミケロッツォ・ミケロッツィを愛したように、ジョヴァンニはレオン・バッティスタ・アルベルティを起用し、そのパトロンとなりました。


アルベルティのルチェッライ宮殿は、ミケロッツォのメディチ・リッカルディ宮殿、ブルネッレスキのピッティ宮殿、ベネデット・ダ・マイアーノのストロッツィ宮殿と並び称されるフィレンツェ・ルネサンスの宮殿建築の最高傑作のひとつです。


宮殿の設計は1446年、途中おそらくべルナルド・ロッセッリーノも参加し、1451年に完成しました。


垂直の付け柱と平な石積みの水平線がファサードの壁面全体を分割し、各階のプロポーションや窓などが、オーダーの原理に従って配置されています。14世紀に流行った高い塔や狭間を備えた、厳しく威圧的な城塞風の宮殿は好まれなくなり、落ち着いてモニュメンタルな個人邸宅が増えてきました。


オーダーの隙間を埋める粗い切石積みのパターンは、ルスティカ(rustica)と呼ばれるルネサンスで多用された技法で、表面を滑らかにせず、敢えて凹凸を目立たせて、荒々しく力強い表情を持たせる技法です。


宮殿の前にあるロッジャもアルベルティの設計で1456年に建設されました。


ここは、現在でもルチェッライ家の個人所有のため、内部を見学することはできませんが、中庭までは見学可能です。