この作品はフィレンツェでフランドル製の毛織物を扱う裕福な商人ロレンツォ・ナージが、富裕階級の娘サンドラ・ディ・マッテオ・ディ・ジョヴァンニ・カニジャーニとの結婚の祝いのためにラッファエッロに注文したものです。結婚式は1505年末から1506年初頭の間に執り行われました。
ヴァザーリによれば、1547年のナージ邸の倒壊にともない、この板絵は17もの部分に壊れましたが、相続人により、画家ロレンツォ・ディ・クレディの弟子ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの手で補修され、元の1枚の絵に戻されました。現在もこの作品にはその事故の傷跡が残っています。
婚姻というこの喜ばしい機会はラッファエッロに、幸福感に満ちた光景を描かせました。聖母子はにこやかに微笑む幼児聖ヨハネに伴われています。聖母子と幼児聖ヨハネのピラミッド型の構図は《ベルヴェデーレの聖母》(5枚目、ウィーン、美術史美術館所蔵)を踏襲していますが、子どもたちを聖母により近くひきよせたものに発展しています。色彩はより華やかに、より生き生きとしたものになり、つづくローマ時代の色彩を予告しています。
聖母は穏やかな表情で石の上に腰掛けています。イエスは聖母の両膝の間に立っていますが、これはイエスの受肉のおかげで聖母が知恵の座(セデス・サピエンティアエ Sedes Sapientiae)となったことを意味します。知恵(Sapientia)とはイエスのことです。
(3枚目)
フイレンツェの守護聖人である洗礼者聖ヨハネの手にはゴシキヒワがおり、幼児イエスがその頭をなでています。ヒワは、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ行く途中、イエスの頭上に舞い降りて、イエスの額から茨の冠の棘を抜こうとしました。その時に、イエスの血が身に飛び散り、それ以来、ヒワの羽には赤い斑点が付いている、といわれています。それゆえに、ヒワはキリストの受難の象徴とされています。
聖母は左手に本を持ち、右手で洗礼者ヨハネを抱き寄せています。両手がこうしたしぐさを同時に行なうことで、この聖人と聖書を強く結び付けています。というのも聖書にはヨハネがキリストの到来を告げた最後の預言者であると書かれているからです。このような神学的な意味は登場人物たちの視線によっても暗示されています。すなわち、マリアは慈愛に満ちた目で洗礼者を見つめ、彼がわが子の先人であることを示し、2人の幼児は互いに見つめ合っています。
ラッファエッロはこれらの人物像をまるで荒野のような土地に配しています。それはちょうど《ベルヴェデーレの聖母》において、足元に実のないイチゴが生えているのと同じで、裸の大地に腰を下ろすことが、聖母の慎ましさを象徴しています。
(4枚目)
背景ののどかな光景には、川が流れてその上に橋がかかり、かなたには山が連なり、村が見えます。風景はまだウンブリア風に描かれてはいますが、その類型的な構成は、15世紀の後半にウルビーノでもフィレンツェでもまだ残存していたフランドル絵画の影響を示しています。たとえば勾配のある屋根とか尖った鐘塔は、地中海地方のものではありません。
作品情報:
Madonna col Bambino e San Giovannino (detta 'Madonna del Cardellino'), Raffaello Sanzio, 1506 circa, Olio su tavola, 107×77 cm, Galleria degli Uffizi (Sala 41), Firenze
Madonna del Belvedere, Raffaello Sanzio, 1506, Olio su tavola, 113×88 cm, Kunsthistorisches Museum, Vienna, Austria