18歳の若さで権力掌握したメディチ家のコジモ1世は、フィレンツェに専制的統治を敷き、やがて1569年にはトスカーナ大公の称号を獲得しました。1539年6月29日、コジモは壮麗な祝祭の中、ナポリ副王ドン・ペドロの第二子、17歳のエレオノーラ・ディ・トレドと結婚しました。やがて夫妻は11人もの子をもうけますが、幾人かは若くして亡くなります。
コジモ1世のための仕事をし始めたブロンズィーノは、すぐに公爵一族のお気に入りの画家となります。ヴェッキオ宮内の公爵の新たな居館の装飾の仕事のかたわら、ブロンズィーノは公式肖像画家の役を果たし、メディチ家の子供たちの姿を画に留めました(4枚目)。1542年頃、彼はコジモの非嫡出の娘、ビアの肖像画(4枚目左から2番目)を描きました。幼くして世を去る直前の娘は、父の横顔を刻んだカメオを首飾りにしています。1544年頃には、乳歯を見せて喜悦の笑みを浮かべる幼いジョヴァンニの肖像(4枚目右から2番目)を描いています。
1545年8月、ブロンズィーノはさらに、マリア、フランチェスコ、イザベッラ、ルクレツィア、そして今度は母と一緒のジョヴァンニ(息子ジョヴァンニを描いたとする見解が学者の間では最も一般的ですが、別の息子フランチェスコまたはガルツィアを描いたとする説も唱えられています。)を描きました。
ラビスラズリの青で描いた広大でほの暗い背景、つまり湖のある風景の、水平線に溶け込む空を背景として、母と子は描かれています。やがて1562年、母(12月17日没)の死に数日先駆けて、弟のガルツィア(12月6日没)とともに世を去る運命のジョヴァンニ(11月20日没)は、母に行儀良くもたれて立つ姿で描かれています。
公爵夫人は、そのもっとも美しい衣裳をまとって描かれています(3枚目)。この衣裳はおそらく彼女が婚礼の日に着たもので、彼女の墓廟から、その断片が発見されています。襟ぐりに真珠の付けられた金糸入りのダマスコ織りの白地の衣裳は、宝石のあしらわれた金の鎖で飾り立てられ、鎖の末は真珠の房となっています。
真珠は二重の首飾りにも、イヤリングにも、さらには髪飾りにも繰り返し現れています。実際、真珠はその希少で純粋、高価という性質によって、道徳的完全性の象徴なのです。繊細な輪郭線がこの貴婦人の透き通るような肌と細い手、美しいうりざね顔を強調しています。
兜に手を置く甲胃姿のコジモ1世の肖像(5枚目)もおそらく同じ年に描かれました。
細部の豪奢な表現、青白く不動の表情の平静さ、硬直したポーズ、時間の完全な静止によって、ブロンズィーノは宮廷における新たな品位の要求を表現し、近代西欧の宮廷肖像画の模範を創り出しました。
作品情報:
Ritratto di Eleonora di Toledo col figlio Giovanni, Agnolo Bronzino, 1545 circa, Olio su tavola, 115×96 cm, Galleria degli Uffizi (Sala 65), Firenze
Ritratto di Cosimo I de' Medici in armatura, Agnolo Bronzino, 1545, Olio su tavola, 71×57 cm, Galleria degli Uffizi (Sala 65), Firenze