9/17/2020

《最後の晩餐》ペルジーノ 《Ultima cena》Perugino


ペルジーノの《最後の晩餐》は、サントノフリオ修道院の食堂に描かれたフレスコ画で、一般的に《フォリーニョの最後の晩餐(Cenacolo del Foligno)》と呼ばれています。円熟期のペルジーノによる代表作でもあり、フィレンツェに残るルネサンス期の《最後の晩餐》のアンソロジーでも魅力的な作品です。


1490〜1500年頃はフィレンツェを中心に充実した活動を展開し、密度の高い作品を数多く制作していたペルジーノは、先輩であるアンドレア・デル・カスターニョやドメニコ・ギルランダイオの先行作品を目にしていた可能性が高いです。


横一列の長いテーブルにキリストを中心として11使徒を配置し、ユダをキリストと向かい合わせにする基本構図は、15世紀フィレンツェの伝統に即しています。


ペルジーノは、使徒たちの座る椅子の背板に豪華な緑色の織り布を張りめぐらし、背景に明るい自然の風景を展開させ、そこに異時同図の手法で「ゲッセマネの祈り」を描きました。


ロッジャなどの古典的建築空間を単なる背景ではありません。主題の舞台空間として画面を構成する手法は、ペルジーノのフィレンツェ時代に共通するものと言えます。ただし、それは当時のフィレンツェにあっては「古典的建築空間」ではなく、最新様式のフィレンツェ建築だったはずです。


中央に座するキリストの頭上、つまり、画面の遠景に異時同図の手法で「ゲッセマネの祈り」を描き、キリストは「最後の晩餐」の時点ですでに、その後に迫り来る自らの悲劇的運命を予見していたことを示そうとしています。目の前のユダを呆然として見つめるイエスの目に読み取れる、静かで、深い悲しみの背後には、避けることのできない悲劇的未来が刻々と近づいてきていることを感じさせます。(この場面は晩餐の後ですから、本当なら夜景でなければならないところですが。)


なお、この壁画は白く塗られた漆喰の下から1845年に発見されたもので、発見された当初はペルジーノの弟子であり、初期の作風がペルジーノと非常によく似ているラッファエッロの壁画と見なされましたが、その後の研究でペルジーノの筆に帰されました。


古代の大理石を模したモチーフとして描かれている画面の縁取りには、聖人たちの肖像画がいくつか描かれていますが、これもフィレンツェの伝統的な表現方法です。