しかし、残念ながら、作品は制作直後から徐々に傷み始めました。主な原因は、レオナルドが選んだ技法にあります。当時、一般的には壁画はフレスコ技法によって描かれていましたが、じっくりと時間をかけて描写を進めるタイプのレオナルドは、漆喰の乾く前に描写を終えなければならないフレスコ画を嫌い、加筆や修正が自由なテンペラ技法を採用しました。しかしテンペラは温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていません。壁面からの湿度などによる浸食を防ぐために、レオナルドは乾いた漆喰の上に薄い膜を作りその上に絵を描きましたが、この方法は結果失敗し、湿度の高い気候も手伝い、激しい浸食と損傷を受ける結果となりました。そして1652年には壁画の下に扉が取り付けられることになり、イエスの足の部分などが切り取られてしまうという悲劇もありました。
第二次大戦の末期には、ミラノを連合軍の爆撃が襲いました。爆弾は教会を直撃し、食堂の天井と片側の東壁を粉々にしました(2枚目)が、修道士たちが壁画のある壁を土嚢と組まれた足場で保護していたため、幸運なことにこの作品は難を逃れました。落下点があと2メートルほど北側にずれていたら、この世紀の傑作は跡形も無くなっていました。しかし、天井が再びかけられるまでの数年間は、作品は雨と風と雪にさらされました。
1947年以降、本格的な修復活動が開始されました。1980年からはピニン・ブランビッラがひとりで修復作業に専念し、剥落の元凶である湿気を壁の周囲から遠ざけ、表面に付着した汚れとレオナルドの時代以降に行われた修復による加筆を除去し、剥落しかかった絵具を固着する気の遠くなる作業は、1999年に終了しました。20年間に及ぶ修復作業を終えて、《最後の晩餐》は現時点で考えられうる最良の状態に戻されたのです。幾度の危機をくぐり抜け、作品がいまだに残っていること自体、ひとつの奇跡ではないでしょうか。
《最後の晩餐》の鑑賞は完全予約制です。公式サイトで日時を指定して事前に予約しておきましょう。また、各回の入場人員は25名という制限があるため、見学は15分ごとの完全入れ替え制です。