9/24/2020

《最後の晩餐》アンドレア・デル・サルト 《Ultima cena》Andrea del Sarto


美術館として整備された修道院の入り口は、教会から少し離れたところにあります。外観からは美術館とは思えない館内に一歩足を踏み入れると、どうしてこんなに多くの作品がここに集められているのかと驚かされるでしょう。


両側に絵画の展示された長い廊下から右手の部屋に入ると、そこには思いがけないほど広く明るい旧食堂の空間が広がり、アンドレア・デル・サルトの《最後の晩餐》が目の前に現れます。


アンドレアがヴァッロンブローサ修道会のイラーリオ・バニーキから依頼を受けたのは1511年ですから、まだ25歳の若い頃でした。しかし、この時に描いたのは天井のヴォールト部分だけで、18のジョルナータ(漆喰の区画)が確認されています。写真では大きさが分かりにくいのですが、ヴォールト部分の幅は238cmもあり、5つのメダリヨン(円形の枠)に描かれた《聖ジョヴァンニ・グアルベル》(ヴァッロンブローザ修道院の創始者)《聖サルヴィ》《聖三位一体》《聖ベルナルド・デッリ・ウベルティ》《聖ベネデット(ベネディクトゥス)》とグロテスク装飾(アンドレア・ディ・コジモ・フェルトリー二が担当)で構成されています。


そして15年後の1526年、当時40歳になっていたアンドレアの手によって、《最後の晩餐》部分が64ジョルナータで制作されました。まだまだ活躍が惜しまれた44歳で亡くなったアンドレアとしては、晩年の傑作だと言えるでしょう。そして、14〜15世紀にフィレンツェの画家たちによって描かれた多くの《最後の晩餐》の集大成が、ここにあると言っても過言ではないと思います。ルネサンス的な合理的空間の中に、構図全体の均衡と調和が計算され、キリストを中心とした13人の静かなドラマが、正確無比のデッサン力で描き出されています。構図は明解な線によって形づくられ、玉虫色の鮮やかな色彩が人物像の動きと感情表現を際立たせています。食卓のどこにユダが位置しているかわかれば、この場の重苦しい緊張感が一層強く伝わってくるでしょう。


1529年、フィレンツェへ侵攻したスペイン軍が、本作のあまりの美しさに、破壊を思い留まったという逸話が残っています。


なお、この《最後の晩餐》は1966年にフィレンツェを襲った大洪水の後、1974年から76年にディーノ・ディー二の手で修復されましたが、先進的な判断によって壁体から剥がされることがなかったため、フレスコ壁画本来の輝きと存在感を今も保っています。


作品情報:

Cenacolo, Andrea del Sarto, 1511-1527, Affresco, 525×871 cm, Museo del Cenacolo di Andrea del Sarto, Firenze