9/26/2020

ウッフィーツィ美術館 Gallerie degli Uffizi


コジモ1世の命令で、1560年にヴァザーリによって建設が始められたウッフィーツィは、司法および行政のオフィスとして誕生しました。建物はヴェッキオ宮殿(市庁舎)からアルノ川岸までひろがり、ピエトラ・セレーナ(青みがかったきめの細かな砂岩)で区切られたまばゆい白壁が続きます。ウッフィーツィ建設の間、ヴァザーリは回廊の建設(1565)にも携わりました。これは、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ、いわば空中の道路で、1キロあまりあるにもかかわらず、わずか6ヶ月で建造されました。


1574年にヴァザーリとコジモ1世が世を去り、フランチェスコ1世が後を継ぎ、ベルナルド・ブオンタレンティとともに、初めは秘密裏に、ヴァザーリの建築の最上階をギャラリーに改築する工事を始めました。1581年には、メディチ家の持つ古代彫刻などの美術作品を収容、展示し、リクエストに応じてこのコレクションを公開するようになりました。


それから1584年に、コレクションのうち最も貴重な作品を集めるべく、「トリブーナ(Tribuna)」(2、3枚目)の建設に取り掛かりました。トリブーナはアテネの「風の塔(Torre dei venti)」(4枚目)と同じ八角形のプランで建てられました。八角形のプランで天の方位を暗示し、星座、あるいはランタンの指時針で太陽の進路を示し、さらに四要素を暗示しています。四要素のうち、「空気」は風見のあるランタンによって表され、「水」は貝殻がはめ込まれたドームによって、「火」は赤い壁によって、そして「土」はさまざまな大理石による床によって表されています。


その後、いく世紀もの間に、新しい収蔵品や新しい展示空間がウッフィーツィを描きかえてきました。ウッフィーツィは1737年にメディチ家の最後の相続人、アンナ・マリア・ルイーザによってトスカーナ大公国に寄贈され、1765年に公式に一般公開されました。


アンナ・マリア・ルイーザは遺言として、「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に寄贈したため、メディチ家の財産は、フィレンツェの遺産として現代まで遺されることとなりました。


作品情報:

Tribuna, Bernardo Buontalenti, 1581-1583, Galleria degli Uffizi, Firenze

Torre dei Venti, 50 a.C., Atene, Grecia