ゴシック聖堂の建築空間との調和を考えてデザインされた、当時としては斬新な鋭角リズムのこの祭壇画(dossale)には、「メリオーレ 1271」と署名も年記もありますから、紛れもなく、これは近代的な産業都市国家フィレンツェの形成期に制作されてことがわかります。
キリストを中心にして左右に2人ずつ対照的に配された四聖人(左から:聖ペテロ、聖母マリア、福音書記者の聖ヨハネ、聖パオロ)の表情には「ドゥエチェント(duecento)」(13世紀)美術特有の素朴な親しみが感じられますが、図式化されたビザンティン美術の強い影響を受けた人物表現には、当時のフィレンツェを包んでいた国際的な文化状況を感じることができます。
これは祭壇画といっても、祭壇の前飾りに使われていたもので、中央部が三角に突き出した横長の額縁形式はイタリアでもっとも古いタイプ、つまり、当時としては最先端の形式だったと言われています。
作者のメリオーレ・ディ・ヤコポに関する資料としては、「モンタペルティの戦い(Battaglia di Montaperti)で捕虜となった」ということしか残されていません。
フィレンツェの自由都市国家(comune)としての出発は1115年からですが、制作当時は、政治的にはまだまだ不安定で、支配者層はローマ教皇派(グエルフィ guelfi)と神聖ローマ皇帝派(ギベッリーニ ghibellini)に分裂して対立抗争を繰り返していました。この党派争いはフィレンツェばかりでなく、イタリアの諸都市すべてを二分し、さらには同じ都市の貴族たちを二分して多くの悲劇を生みました。
作品情報:
Redentore tra la Vergine e tre santi, Meliore di Jacopo, 1271, Tempera e oro su tavola, 85×210 cm, Galleria degli Uffizi, Firenze