8/22/2020

《ダヴィデ》ミケランジェロ・ブオナッローティ 《David》Michelangelo Buonarroti


ミケランジェロの傑作《ダヴィデ》のオリジナルが、現在アッカデミア美術館に展示されているのは周知の通りですが、美術館に移動する1873年までは4世紀近くも政庁舎(ヴェッキオ宮殿)前を飾っていました。


この巨像の設置について、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチとの間で、一悶着あったことはよく知られているエピソードです。設置委員会の重要なメンバーであったレオナルドはロッジャ(ランツィの回廊)の屋根の下に設置した方がよいと提案しますが、制作者のミケランジェロはロッジャの中に閉じ込めるなどもってのほかと、23歳も年長のレオナルドにくってかかったと伝えられています。結局は若く強引なミケランジェロの剣幕に押されて、委員会は政庁舎前に設置することが決定しますが、そこには1494年にピエロ・デ・メディチを追放した勝利の記念として、メディチ邸から運び出したドナテッロの《ユディトとホロフェルネス》がすでに設置されていたのです。《ダヴィデ》を工房からシニョリーア広場まで運んでくるのさえ大変なのに、せっかく10年前に設置した《ユディトとホロフェルネス》をどけなければいけなかったのですから、一部からは苦情が漏れたのではないかと想像されます。


『ランドゥッチの日記』に、その時の様子が詳しく記されています。まず、大理石の巨人を工房から引き出すのに、出入り口の壁を壊さねばならず、夜になると巨人を傷つけようとして石が投げつけられたりしたので、見張りを立てなければなりませんでした。台座の下には油を塗った14本の材木を順に転がしながら、40人以上の男がかかって、4日間を要し、シニョリーア広場には5月18日に到着しました。それから《ユディトとホロフェルネス》を政庁舎の中庭に移し、《ダヴィデ》を階段上の玄関前に引き上げて据え付けるのに6月8日までかかったと、書かれています。