多くの彫像で飾られたシニョリーア広場は、古くからフィレンツェの政治の中心地で、多くの歴史を見つめてきました。正面にヴェッキオ宮殿の堂々たる建物と横に彫刻展示場ともいえるロッジャ(Loggia della Signoria dei Lanzi)、その奥にはウッフィーツィ美術館があります。
広場の中心にはフィレンツェの支配者であったメディチ家コジモ1世の騎馬像やネプチューンの噴水、ミケランジェロの《ダヴィデ》(コピー)、フィレンツェの象徴であるドナテッロのライオン《マルゾッコ》(コピー)など、多くの芸術作品があり、無料の美術館として、いつも観光客や地元の人々で賑わっています。
広場は、ローマ統治時代からの「フォルム」と呼ばれる公共広場で、かつては周囲に、ローマ劇場、公衆浴場、市場などがありました。1980年台の発掘調査で、5世紀頃には教会が建設されていたことが分かり、新石器時代の遺物も発見されています。
現在のようなL字型の広場になったのは、1268年に教皇派(ゲルフ)が、敗北した皇帝派(ギベリン)の建物を取り壊し、そこに家を建てることが禁じられたため、と言われています。この広場は長い間穴だらけでひどい状態でしたが、1385年に初めて舗装されました。
1497年、ジローラモ・サヴォナローラが「虚栄の焼却」と称して本や贅沢品を燃やしたのもこの広場でした。ネプチューンの噴水の前に、1498年5月23日にジローラモ・サヴォナローラが処刑された場所を示す銘板があります。